前向きに生きて行きたいものです。いや、生きて行きましょう!
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なんか気が抜けたなあ。
どーっと、重いものがのりかかってる感じだ。
なにかいい事ありそうか・・・。
こんなんじゃだめだ!
さて、今日は帰る。。
<精神病理学者 心理学者はどう見るか>
106億円もの巨額マネーを財布代わりの子会社から引き出し、大半をカジノにつぎ込んで逮捕された大王製紙前会長の井川意高(もとたか)(47)。前代未聞の事件を引き起こした男は、名門製紙メーカー創業家の御曹司として超エリート人生を歩んできた。IT企業経営者やタレントなどとのド派手な交友関係、豪遊の裏には、他人がうかがい知れない心の闇があったのか――。
<何一つ不足のない生活と他人に見えても当人には鬱屈した心情がある人間の性>
大王製紙の2代目社長で「中興の祖」といわれる高雄(74)の長男として、意高は幼少のころから徹底した英才教育を施されてきた。小学校のころは愛媛の実家から飛行機で東京の塾通いを続け、筑波大付属駒場高校から東大法学部へ進んだ。卒業後、大王製紙に入社し、4年で常務になり、副社長を経て07年、42歳の若さで売上高4000億円超の製紙業界3位企業のトップになった。
副社長当時、王子製紙が北越製紙(現北越紀州製紙)にTOBを仕掛け、業界は大騒動になった。その時、意高は日刊ゲンダイ本紙の取材に「同業者としての立場、ユーザーとしての立場双方から独禁法違反にあたると考え、(公正取引委員会に)上申書を提出することにした」と語った。業界トップの強引な手法に真っ向から立ち向かう、若き経営者の凛とした姿があった。
その後、大王と北越は「反王子」でタッグを組み、当時の鈴木正一郎・日本製紙連合会長(王子製紙会長)の辞任要求という行動に出た。その時のインタビューでは「義を見てせざるは勇なきなり」(論語の一節)と言ってみせたものである。
そうした表の顔の一方で、夜の交友関係はド派手だった。連日のように銀座、六本木界隈で飲み歩き、政治家、若手経営者、芸能人、官僚らとの人脈をつくり上げていった。「100万円ジャンケン」「10万円コースター」など金満エピソードには事欠かない。そしてカジノにはまり、身を滅ぼすことになってしまった。
この昼と夜のギャップはどこから来るのか。ケタ外れの金額と常軌を逸した行動は庶民にはとても理解できない。いったい、どこで道を踏み外してしまったのか。明大講師・関修氏(心理学、精神分析)の見方はこうだ。
「子どものころから恵まれた環境で失敗をしたことのない人生を送ってきた人ですから、株やFXでの損失を認めたくない意識があった。そういうときに勧められるまま海外のカジノに行き、ビギナーズラックで勝ってしまう。そこでやはり(人生は)思い通りになるんだと思い込む。次から負けが込んでも、カネはあるし最後は勝てる、という思いからますますのめり込み、やがて快楽になっていったのではないか」
同時に幼少時からの孤独も影響していると、関氏がこう続ける。
「小さいころから御曹司としてガードされ、普通の子どものような遊びもしてこなかったのでしょう。会社に入ってからも、同族企業ゆえ特別扱いで、ライバルもいなければ、議論をしたこともないままトップになってしまった。腹を割って相談できる相手もいない。孤独感は強まる一方で、そのはけ口がカジノだったのかもしれませんね」
実際、元側近が週刊誌に「私は友だちがいない」という意高の言葉を証言していた。金持ちでルックスもよく、東大法学部を出て順当にエリート街道を驀進。オンナにも困っていなかった。何ひとつ不足のない生活と他人には見えるかもしれないが、当人には鬱屈した深い心の闇があったということなのだろう。
「父親の存在感が大きすぎた」という指摘もある。ジャーナリストの有森隆氏が言う。
「40代で社長になったといっても、中興の祖である父親が厳然たる影響力を誇っているグループ内では、しょせん間接支配でしかなかった。力を蓄えて父親の存在を乗り越え、名実ともにグループの支配者になりたい。そのためには大王製紙の大株主であるファミリー企業の株式を握るのが一番。そこで株式投資やFXに手を出し、買い取り資金を集めようとしたのが発端ではないでしょうか」
〈行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず〉(方丈記)
しょせん無常の世界である。壮烈な人生を送った文豪ドストエフスキーも、自由奔放に生きたサガンも、一時期カジノにはまり破産寸前に陥った。若くして起業し、頂点に上り詰めたリクルートの江副浩正(東大教育学部卒)、ライブドアの堀江貴文(東大文学部中退)は事件で塀の中に落ちた。
成功した人間ほど、野望が大きくなるのか、ホドホドに生きることができない。順風過ぎるほど、その後が怖い。最後に待っているのは滅びである。
小泉政権下の行き過ぎた市場主義経済がもたらした格差社会の進行が、再び学歴信奉を強めているが、しゃかりきになって子どもを東大に入れたところで、本人の幸せにつながるとは限らない。人生の成功とは何か、本当の幸福とは何か。改めて考えさせられる事件である。(敬称略)
(日刊ゲンダイ2011年11月24日掲載)
・・・かわいそうな人だったのかもしれない。。
元祖「燃える男」は黙っていられなかった。沢村賞の選考会で土橋委員長らを中心として、田中とダルビッシュに「マウンドでほえまくるのはマナー面でいい影響を与えない」と注文がついた。これに対し、「個性がないという時代に、立派な個性やないか。ああやって感情を出すピッチャーがいるからこそ、淡々と抑えるピッチャーも際立つ」と持論を展開した。
自身も現役時代は「強い巨人を倒すためには、魂を込めて投げるしかなかった」とマウンド上では感情を爆発させ、ファンに愛された。74年に沢村賞に輝いた経験も持つだけに「マサヒロ(田中)は本当にいい子。あいつがガッツポーズをするのを見て、嫌な気持ちがする人はいないはず。選考委員のじいさまたちは、何か小言を言わないと気が済まないんだろ」という言葉に重みがあった。
闘将は12球団最速で田中を来季の開幕投手に指名済み。「マサヒロはオレなんかと比べるのが失礼なぐらい、すごいピッチャー」と大きな期待を寄せるからこそ、何も気兼ねもなく、マウンドに上がってほしいという親心だった。